さくら学院「Jump Up 〜ちいさな勇気〜」のMVを観る

main020

前回の記事「さくら学院『My Graduation Toss』のMVを観る」に続いてさくら学院の卒業ソングについてです。

BABYMETALとは直接関係がありませんが、そもそもBABYMETALはさくら学院の重音部としてスタートしているわけですし、それぞれ音楽性はまったく別ですが、特にゆいもあが在籍した2014年度まではもう切っても切れないものである、ということでご容赦願いたいと思います。

「Jump Up 〜ちいさな勇気〜」は2014年2月12日にさくら学院の7枚目のシングルとして発売されました。さくら学院の卒業ソングとしては「旅立ちの日に」「My Graduation Toss」に続いて3曲目にあたり、この年、堀内まり菜、飯田來麗、杉﨑寧々、佐藤日向の四人が卒業しています(敬称略)。

メンバーがほとんど動かない異色のMV


BABYMETALとさくら学院は切っても切れないものなのだから、と書きましたが、それ以上にこのMVを観てある種の衝撃を受けたから書く、というのが実のところです。

アイドルのMVをちゃんと観ることなんて、たぶんさくら学院がはじめてです。そして他のアイドルのMVに関してはどうかといえば、AKBグループのMVがたまたまテレビで流れていたので眺めていた、という具合です。あっ、BiSのはいくつか観ましたけれど、個人的にはBiS=アイドルという認識は薄いですね。

さて、衝撃を受けた「Jump Up 〜ちいさな勇気〜」(以下、「Jump Up」)のMVですが、メンバーがほとんど動いていないというのがまずアイドルのMVとしては異色といえるのではないでしょうか。動いているのはむしろカメラのほうです。

同じく卒業ソングである「旅立ちの日に」のMVでのメンバーも動いていませんが、J-MIXバージョンのほうでは学校の屋上らしき場所で遊んでいるカットが含まれています。また、「旅立ちの日に」も「Jump Up」もメンバーが整列して立っている点は同じですが「旅立ちの日に」はメンバーの立ち位置は合唱曲であることに倣って決められているようです。たとえば、背の高さによってシンメトリーに並びながらも、パートが分かれる箇所の先行の7人が下手(しもて)、後行で追いかける5人が上手(かみて)にくっきり分かれているのがわかります。

それに対して「Jump Up」は、教室や廊下、音楽室など、場所が変わるたびに並び方が違っています。「Jump Up」の最初と最後のカットで壁に貼られているのが写真であることを考えれば、「旅立ちの日に」の並び方は合唱団として並んでいるのに対して、「Jump Up」の並び方は集合写真の被写体として並んでいるということがいえるでしょうか。

なぜカメラは動きを止めないのか

「Jump Up」のMVでは、カメラはコマ撮りのようにして学校のなかや教室のなかを動きまわっています。

先ほど”集合写真”と書きましたが、実際のところこのMVの撮影は「ピクトグラム」(2012)のMVのように写真をつなげているのではなく、映像(動画)で撮影され、ところどころを早回しにしてコマ(フレーム)が抜けることによってコマ撮り風に見えるようです。

しかし、さくら学院のメンバーが集合写真の被写体として並んでいるという点を踏まえ、ここではあくまで「写真」として話を進めていきます。

動きまわるカメラの行く先々でメンバーは整列していたり各々でポーズを決めていたりします。ソロパートでは目線がはずされていたりしますが、ワンショットではなく、その横に他のメンバーが動かずに並んでいます。

教室に、廊下に、音楽室に、夏服だったり、あるいは掃除の途中やマフラーをまとったメンバーがいて、あたかも本当に彼女たちが学校に「いる」ようなリアリティーがここでは演出されています。

写真は一瞬を記録するものであるということはご存知だと思います。シャッターを押した瞬間に「現在」は記録されて過去へと流れていきます。しかし過去のものでありながら、そこに写っているのは自分が確かにそこで目にしていた「現在」の姿です。

写真がある以上、どんなに時が経ってもそこに「現在」は残る、ということがいえるかと思います。

教室で、廊下で、音楽室でメンバーは動かないまま、今まさに写真に撮られようとしています。その場、その季節の、その時間の「現在」の姿をとどめようとしているわけです。

ここで気になるのは、それぞれの場所で集合するメンバーを撮るカメラがその場所でのカットの終わりに、まるでメンバーのなかに突っ込んでいくかのようにカメラが動いていく点です。

写真を撮ったのなら、そこでシーン(教室)が変わればいいわけです。カメラの高さやレンズの向きがほぼ変わらないまま近づいていくので、顔がフレームアウトしている箇所もあり、どうやらメンバーのアップを撮るために近づいているわけでもないようです。にもかかわらず、カメラは動きを止めずに前へ突っ切っていってしまいます。

どうしてそんな必要があるのでしょうか。

写真が一瞬で撮れてしまうのに対して、映像は「時間」をともないます。したがって、動きまわるカメラは時間の移行と共にあります。

顔が写っていようがいまいが、おかまいなしにカメラは動いていきます。

つまり、このカメラの動きをイコール「時間の流れ」と考えることができるのではないでしょうか。写真に撮った一瞬間を過去へと流してしまう「時間」です。

時間の流れに抵抗し「現在」にとどまること

メンバーのなかに突っ込んでいくかのように動きを止めないこのカメラの動きは、個人的に衝撃的でした。近づいていき、すぐに通りぬけていってしまうカメラの移動が機械的で容赦ないからです。

確かに、カメラの動き=時間の流れなのであれば、時間は止まることがありませんから、カメラもメンバーを映したあとはそのまま動き続けるだけです。そこにいるのがアイドルであろうが誰であろうが、時間は止まりませんし、カメラも動き続けます。

しかし、メンバーはこの場所から離れまいとばかりに一歩も動かず時間の流れに抵抗し、あるいは写真に撮られることで「現在」にとどまろうとしています。

現に、このカメラは常に動き続けているのですが(歌っているメンバーを撮っているシーンもゆっくり近づいていて止まることはありません)、歌が終わったあとのアウトロでは教室や音楽室などで写真風に写っている固定カットがごくわずかな時間ですが残されています。

そして、ラスト、カメラが冒頭にいた教室に戻るとそこにはメンバーが写った写真が貼られています。

メンバーが写った集合写真は、卒業式を間近に控えた「現在」の姿です。その現在の一瞬が写真にとどめられたと同時に、冒頭の椅子だけが写っていたメンバーの「不在」も打ち消しています。

「どんなに時を駆け抜けても」そこに「現在」が変わらずにあるわけですね。

ところで、この曲は18世紀のドイツの作曲家パッヘルベルの「カノン」をモチーフにしていて、どちらかといえばオーソドックスな曲調になっています。MVもけっして華々しいわけではありません。

しかし、これがステージ上でのパフォーマンスとなると、力強い振り付けと中間部のコーラスのハーモニーによって、この曲がもつ存在感の大きさに気づかされます。

殊に、中間部のコーラスに関しては、そもそも個人的にはアイドルがコーラスをやるというイメージがまったくないのですが、それをさくら学院はやってのけてしまうわけです。ライブ「The Road to Graduation Final 〜さくら学院 2013年度 卒業〜」ではメンバーが横一列に並んでコーラスを聴かせるのですが、これは圧巻といっていいのではないでしょうか。ずらりと並ぶメンバーの横顔をとらえたカットも心憎いです。ごく一部に音程がはずれている箇所もあるのですが、それは逆に生歌であることも証明しています。

こういう曲はそうそうライブではやれないんじゃないか、なんて思っていたところ、2016年2月13日におこなわれた「The Road to Graduation 2015 〜Happy Valentine〜」の夜公演では「Jump Up」がアンコールの二曲目、その日のラストに披露されました。さくら学院、もうどんだけ……ってカンジですね。