BABYMETALとさくら学院のダンスにおける神聖性

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BABYMETALの映像を観ていてふと気づいたのですが、ステージでのパフォーマンス中、ガッと足を広げて立っている姿ってわりとよく見ますよね。

「ギミチョコ!!」もそうですし、「Road of Resistance」もそうですよね。肩幅以上に足を広げているのが基本的なスタンスのひとつになっています。

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こういうのってアイドルとしてはめずらしいんじゃないでしょうか。あまりアイドルらしくないなー、と思います。アイドルらしいところもアイドルらしくないところも両方あるのがBABYMETALということですかね。

さくら学院やBABYMETALにみられる「輪」

両足を広げたスタンスだけでなく、MIKIKOMETAL(MIKIKO先生)の振り付けやフォーメーションはオリジナリティー満載で観ていておもしろいのですが、そのなかでもグッと引きつけられる箇所があることに気づきました。

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さくら学院の「My Graduation Toss」のなかのシーンなのですが、一人を中心に据えて他のメンバーが輪になって囲む、というフォーメーションです。

なんとなく、儀式的、儀礼的、純潔、祈り、聖なるもの、なんていうキーワードが連想できるでしょうか。

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こちらはBABYMETALの「イジメ、ダメ、ゼッタイ」です。

ステージ後方中央のSU-METALに対して前方両サイドのYUIMETALとMOAMETALが後方中央を向いています。こういったフォーメーションは他の曲でもありますし、「いいね!」のトレインの直前ではまったく同じものがみられます。

三人なので「輪」というよりは三角形、トライアングルなのですが、YUIMETALとMOAMETALの二人が一点の方向に向いていて、その一点が中心にあたるSU-METAL、その中心から等距離にYUIMETALとMOAMETALの二人がいて円周をなしているものと考え、ここでは「輪」として進めていきます。

人数の違い、フォーメーションの違いはありますが、「中央」と「周囲」、そして「周囲」が「中央」へと体・視線を向けるという点では同じかと思います。

それぞれ一瞬ではあるのですが、「My Graduation Toss」も「イジメ、ダメ、ゼッタイ」も(それから「いいね!」も)、囲んでいるメンバーやYUIMETAL、MOAMETALは両手を胸の前にもってきて、祈りを捧げる、あるいはお願いをするようなポーズをとっているのがわかります。

「輪」のもつ宗教性

ところで「輪」というものがどういうものなのかを調べてみると、Weblio辞書の世界宗教用語大事典には「輪や円の図型は、古くから十字や卍字と共に、呪力・宗教的な象徴とされている。」とあります。(Weblio辞書 世界宗教用語大事典「わ【輪・環】」)

さくら学院も、ライブ前などの大事な場面には「さ!オー!く!オー!ら!オー!顔笑るぞ!オー!」のかけ声でおなじみの円陣を組んでいますね。

儀式のとき、祈りをささげるとき、踊りのときなどに輪になる、円をつくることは古くからさまざまな民族でおこなわれてきたようです(スーダンのジキルダンスやアメリカ先住民族のメディスンホイール、スペインのサルダーナなど)。比較的有名なインドネシアのケチャも観賞舞踊ですが円形になっています。

日本でも、盆踊りや「かごめかごめ」などの遊びが、輪になっておこなうものとして古くから存在します。「かごめかごめ」は子どもの遊びですが、もともとは子どもが宗教的儀礼をまねしたものであることが柳田國男の『民間伝承論』(1934年)で指摘されています。

踊りに関しては『舞踊の民族誌 アジアン・ダンスノート』宮尾慈良著(2007年)という本のなかに次のような記述があります。

古代壁画に描かれている舞踊図には円形あるいは輪の形態が多くみられる。この円輪による舞踊は、円の中心に対して踊り手の求心力が強まり、等距離に踊り手を位置させ、集団による霊力の結束を求めるのに適していたからであろう。(中略)円輪の舞踊はほとんどが呪術的な機能をもち、動きは横へと歩きながら円輪を描いている。

アジアの人々は(中略)舞踊が行われるのは決まって闇夜のなかで神霊と交流する儀式として行われている。

舞踊が演じられる空間は、もともと神聖な領域であるので神霊が舞い降り、空間が清められて聖性を質的に強く帯びている。何もない空間に舞踊や祭りが行われると、いままでとは異なる空間が出現する。

「輪になる」ことに宗教的な意味があるということ、また、神聖な意味をもつダンス(舞踊)において「輪になる」ことはそこに参加している人々の民族的・宗教的な結束を強め、その場の聖性・神秘性を高めるものであるということが確認できるかと思います。

「輪」と「中心」

あるいは「輪になる(円をつくる)」のではなく「輪になっているもの」という点でいえば、ストーンヘンジに代表されるストーンサークルや仏教の曼荼羅が挙げられるでしょうか。

ストーンサークルが何のために存在していたのかを調べると、ひとことでいってしまえば「祭祀(まつり)」のためであることがわかります。

「まつり」というとお祭りワッショイとか思ってしまいますが、ここでは「神をまつる」「先祖をまつる」というような意味になると思います。Wikipedia には「『まつり』という言葉は『祀る』の名詞形で、本来は神を祀ること、またはその儀式を指すものである。」とあります。(Wikipedia 「祭」の概要1.2「日本語の「まつり」の語源と原義」の項

ストーンサークルの中心部が何を意味しているのかはまだ謎のままのようですが、祭祀のための場だったという点から、神聖なもの、目に見えない神秘的なものが想定されていたということはいえるかと思います。

曼荼羅は主に仏教(特に密教)の世界観をあらわしている絵画のことを指します。種類はいくつかありますが、日本にある代表的なものでは、その中央に大日如来が描かれています。大日如来は簡単にいってしまうと、最高仏にして超越者、宇宙の真理といったところでしょうか。

つまり、ストーンサークルや曼荼羅では、その「中心」にもっとも神聖なもの、もっとも重要なものが据えられているわけです。

この「輪」と「中心」をすべて人間が担ったものが、先ほど挙げたさくら学院やBABYMETALの円形のフォーメーションだということがいえるのではないでしょうか。

「中心」にすぅちゃん(SU-METAL)が立ち、「輪」になった他のメンバーあるいはYUIMETALとMOAMETALの二人が囲みます。「輪」はメンバー間の結束の強さを意味し、その輪で囲んだ「中心」を神聖なものであるとしているわけです。

さらにいってしまうと、このなかでメンバーの一部、あるいはYUIMETALとMOAMETALの二人は客席に背を向けてしまっていますから、観客よりも「中心」を向くことが優先されています。つまり、ここではアイドルとして観客に自分をみてもらうことは犠牲にして、あくまで「輪」の一部に同化して「中心」に体を向けることが重要になっているわけです。神聖なものへの忠誠、崇拝ともいえるかもしれません。

ここで留意しておきたいのは「観客」の存在です。観客はこれらの「輪」および「中心」を傍観者として見るほかはありません。それこそ父兄のように見守るしかないわけですが、もう少し進化したカタチもあるようです。

神聖性の「指示」、神聖性への「参加」

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こちらは「メギツネ」の中間部です。

ここまでみてきたのと違うのは、YUIMETALとMOAMETALの二人が中央のSU-METALに向かって手を突き出し、キツネサインをつくっている点です。

狐のお面をあててメギツネそのものと化したSU-METALがここでも「中心」に据えられているわけですが、両側に立っているYUIMETALとMOAMETALは祈るというよりはキツネサインを捧げているといったほうが近いでしょうか。

と同時に、いやおうなくSU-METALに注目がいくというか、ただでさえお面をあてたSU-METALが「中心」にいるのに「輪」からキツネサインを捧げられることによって、SU-METALへの集中度・崇拝度がより強固なものになっている、ということになるのではないでしょうか。

YUIMETALとMOAMETALの二人は、その場にただ直立して片手だけを突き出していますが、その様はまるで童子のようでもあります。動きとして与えられているのはキツネサインをした手を振ることくらいですが、これは余計な振り付けによってSU-METALへの集中度を下げさせない、観客の視線を散らばらせないためということが推測できます。

つまり、SU-METALに向かってキツネサインを捧げるように手を突き出しているYUIMETALとMOAMETALは、この人を見よといわんばかりにSU-METALを指さしている、というわけです。

こうした「指示行為」によって、いやおうなくSU-METALに注目がいく、SU-METALへの集中度・崇拝度がより強固なものになるということがいえるかと思います。

さて、この人を見よというこの「指示」は誰に向けられたものでしょうか。いうまでもなく「観客」です。

先ほど「My Graduation Toss」や「イジメ、ダメ、ゼッタイ」でみた輪のフォーメーションにおいては観客は傍観者だと書きました。つまり、

(中心←輪)←観客

というように一方通行の視線でしかありません。

しかし、この「メギツネ」の指示行為では

(中心←輪)←観客

という、振り付けによる観客への語りかけが図られている、ということになるでしょう。

こういったフォーメーションによる神聖化、振り付けによる視線の集中をさらに過激にしたのが「ヘドバンギャー!!」かと思います。

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これはもう崇拝の儀式的行為そのものだと思いますが、やはりYUIMETALとMOAMETALの二人が客席に背を向けていることに注目したいと思います。

客席に背を向けてまでSU-METALを崇めるのは、SU-METALを神聖なものとみなしているからということはこれまで書いてきたとおりです。

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こちらは、15世紀のフランドルの画家ファン・エイク兄弟による「ヘントの祭壇画」という宗教画の一部分です。

画面中央に祭壇があり、その上には子羊がのせられています。この子羊は神の子羊であり、イエス・キリストの象徴です。

子羊のまわりを14名の天使が囲み、ここではみられませんが、さらにその外側を十二使徒、預言者、聖人などの集団がとり囲んでいます。ちなみに祭壇の前にいる二名の天使は香炉を振っているそうです。

この絵画には、神の子羊を礼拝する様子が描かれているのですが、構図上、この絵画を観る鑑賞者は、祭壇の前の天使やその外側にいる集団越しに子羊を観るということになります。

この祭壇の前にいる二名の天使をYUIMETALとMOAMETALに置き換えてみるとどうでしょうか。

YUIMETALとMOAMETALの二人はSU-METALを崇める行為に集中しているわけですが、その後ろにいる集団はメイトということになるでしょうか。

そしてそのなかに「あなた」や「僕」という存在がいるということになります。

YUIMETALとMOAMETALは客席に背を向けていますが、ここでは観客と同じ方向を向いているというべきでしょう。YUIMETALとMOAMETALだけが背を向けているのではなく、その後ろには地続きでメイトたちが列をなしています。メイトたちはYUIMETALとMOAMETALの二人と同じ方向を向いて、同じものを見ているということになります。ライブに参戦していようがデロを観ていようが、同じようにそこにいる人はYUIMETALとMOAMETALの二人をとおして、あるいは二人とともに礼拝の場に参加し、凛とたたずむSU-METALの姿を崇めたてまつることになるわけです。

アーティストと観客のあいだにおける双方向性・コミュニケーションという意味では、コール&レスポンスというものがあります。

けれどそれは、どんなアーティストにも可能なものだといえます。MCでのやりとりも同様です。

しかし、ここでみてきた振り付けによる語りかけ、参加といった点はBABYMETALとメイトのあいだにだけ用意されたものと思えてなりません。

それにしてもずいぶん長くなってしまいました。

この記事を書くにあたっては、できるだけ神秘性や宗教性といったほうへ傾かないように注意しました。

もとよりBABYMETALやさくら学院に神秘的な見方をあてはめるつもりはまったくないのですが、記事を書くにあたり民族舞踊や宗教的な概念に触れることによって「呪術」や「霊力」あるいは「真理」などといった、使いようによってはアヤシイ言葉も使わざるをえませんでした。

「宗教」とひとこと書いても、この二文字からどんなことを連想するかは人それぞれで、そこに言葉の怖さがあります。

できるだけ客観的に、特別視しないような書き方をしたつもりですが、あくまでその特徴というか本質的なところを目指したものとして受け止めていただければ、と思います。